本年(2019年)6月に開かれた全日本大学野球選手権大会(以下、全国大会)に、東京新大学リーグの代表として出場した創価大学硬式野球部は、初戦を勝利し、迎えた2回戦。前年覇者で強打を誇る東北福祉大学戦のマウンドに立ったのは望月大希投手(4年)でした。常時140キロを超えるノビのあるストレートと落差のある変化球を織り交ぜた投球を披露し、最後までマウンドに立ち2安打1失点に抑えました。試合は0対1で惜敗しましたが、素晴らしい攻めのピッチングを続けました。試合後、「失点は自分の力不足なので、秋の全国大会にむけ、個人としてもチームとしても力をつけたい」と次を見据えて力強く語りました。
望月投手は大学1年次から公式戦に登板するなど注目を集めていましたが、その後は予期せぬ病気や怪我が望月投手を襲いました。しかし、逆境から逃げずに真正面から向き合い、自身の力で乗り越えてきました。今回のインタビューでは、大学入学後の様々な出来事や全国大会でのマウンドを振り返っての感想、これからの目標について語っていただきました。
望月投手は大学1年次から公式戦に登板するなど注目を集めていましたが、その後は予期せぬ病気や怪我が望月投手を襲いました。しかし、逆境から逃げずに真正面から向き合い、自身の力で乗り越えてきました。今回のインタビューでは、大学入学後の様々な出来事や全国大会でのマウンドを振り返っての感想、これからの目標について語っていただきました。
野球をはじめたきっかけ、高校までのことを教えてください。
野球をやっていた兄の影響もあり、小さい頃からボールで遊ぶことが好きでした。小学校4年生から本格的に野球を始め、地元の船橋市立八木が谷中学校の軟式野球部に入りました。小学校からショートをやっていましたが、同じチームのエースが怪我をしたこともあり、中学3年生の時に監督から、「望月、ピッチャーやってみろ」と声をかけられたのが投手転向のきっかけです。昔から憧れていたポジションでもあったので、ますます野球が好きになり練習に励みました。
中学卒業後は地元の市立船橋高校に進学しました。高校では2年生から先発のチャンスをもらうことが増え、2年秋には県大会ベスト4の結果を残すことができました。高校3年間を振り返ると、ピッチング練習よりも走ってばっかりの日々を思い出します(笑)。ただ、徹底的に走り込んだことで忍耐力がついたと思います。甲子園出場の夢は叶いませんでしたが、多少の厳しい練習も「これが普通」と受け止められるようになったのが今思えば貴重な経験でした。
中学卒業後は地元の市立船橋高校に進学しました。高校では2年生から先発のチャンスをもらうことが増え、2年秋には県大会ベスト4の結果を残すことができました。高校3年間を振り返ると、ピッチング練習よりも走ってばっかりの日々を思い出します(笑)。ただ、徹底的に走り込んだことで忍耐力がついたと思います。甲子園出場の夢は叶いませんでしたが、多少の厳しい練習も「これが普通」と受け止められるようになったのが今思えば貴重な経験でした。
創価大学に進学した決め手は何でしょうか?
創価大学以外の大学からも声をかけていただきましたが、自分の力を発揮できる環境はどこの大学かを考えました。「創価大学で野球をしてほしい」との親の思いもありましたし、あとは田中正義投手(現:福岡ソフトバンクホークス)、池田隆英投手(現:東北楽天ゴールデンイーグルス)が創価大学にいたことも大きかったです。両選手が大学3年生の時、自分が高校3年生だったので、1年間でも同じ環境で野球をやりたいとの気持ちがありました。小中高と全国大会に出た経験がなかったので、大学入学後はチームとして全国大会に出場し、そこで自分が投げてチームを勝利に導くことを目標に大学野球が開始しました。
入学後、最初にぶつかった壁を教えてください。
1年生の春から公式戦で登板するチャンスをもらっていました。思うような投球ができない時も監督、コーチには我慢して使っていただきましたが、その期待に応える結果が出せないことが悔しかったです。入学直後で大学野球の雰囲気に慣れていなかったこともあり、周りからの期待を自分の中で大きく感じてしまったことが原因だったと思います。
そんな時、近くに田中投手や池田投手がいたので、両選手の背中を見て野球に取り組む姿勢を勉強しました。試合や練習にピークをもってくるための自己管理する力や、オンとオフのスイッチの入れ方など、投球面だけでなくメンタル面でも学ぶことが多くありました。身近でそういった先輩と時間を共有できたのは大きな財産です。
そんな時、近くに田中投手や池田投手がいたので、両選手の背中を見て野球に取り組む姿勢を勉強しました。試合や練習にピークをもってくるための自己管理する力や、オンとオフのスイッチの入れ方など、投球面だけでなくメンタル面でも学ぶことが多くありました。身近でそういった先輩と時間を共有できたのは大きな財産です。
1年春に襲った難病に対し、どのように向き合ったのでしょうか?
1年生が終わる頃、大学の健康診断で異常な数値の結果が出て、大学病院で何度か精密検査を受けましたが原因不明との診断でした。腰に針を入れる腎生検という検査をして原因がわかり、1年生の3月に「IgA腎症」(IgAという蛋白が腎臓に沈着する病気)の診断を受けました。
自覚症状は全くありませんでしたが、そのまま放置していると腎不全になり透析治療しないといけなくなると医者から言われました。運動制限を指示され、「体は何の問題もなく普通に動くのに、なぜ制限するんだろう」というのが率直な心境でした。みんなと一緒に練習できなかったり、ウエイトやランニングの負荷を減らしたりなど思うような練習ができない日々が続きました。
春のリーグ戦が迫っていたこともあり、担当医と相談して手術はリーグ戦後の大学2年の8月に行うことになりました。運動制限の範囲内で練習しながら、監督やコーチとも状況をよく相談し、春のリーグ戦でも短いイニングを投げることができました。8月に無事手術を終えましたが、その後も定期的に治療と検査を重ねた結果、健康診断から1年後の大学2年の1月に完治し、運動制限もなく練習できるようになりました。
この1年間は辛かったですが、自分の立場を受け入れることや、様々な角度で野球を見ることの大事さなど学ぶことが多かったので今は良かったと思っています。ずっとプロ野球選手になりたいとの気持ちがあったので、ここで夢を諦められないし、絶対に乗り越えて強くなろうと常に自分に言い聞かせていました。
自覚症状は全くありませんでしたが、そのまま放置していると腎不全になり透析治療しないといけなくなると医者から言われました。運動制限を指示され、「体は何の問題もなく普通に動くのに、なぜ制限するんだろう」というのが率直な心境でした。みんなと一緒に練習できなかったり、ウエイトやランニングの負荷を減らしたりなど思うような練習ができない日々が続きました。
春のリーグ戦が迫っていたこともあり、担当医と相談して手術はリーグ戦後の大学2年の8月に行うことになりました。運動制限の範囲内で練習しながら、監督やコーチとも状況をよく相談し、春のリーグ戦でも短いイニングを投げることができました。8月に無事手術を終えましたが、その後も定期的に治療と検査を重ねた結果、健康診断から1年後の大学2年の1月に完治し、運動制限もなく練習できるようになりました。
この1年間は辛かったですが、自分の立場を受け入れることや、様々な角度で野球を見ることの大事さなど学ぶことが多かったので今は良かったと思っています。ずっとプロ野球選手になりたいとの気持ちがあったので、ここで夢を諦められないし、絶対に乗り越えて強くなろうと常に自分に言い聞かせていました。
これからという時、次はヒジの痛みが出たそうですね。
腎臓の病気が完治し、練習に取り組んでいると、今までにないヒジの痛みを練習中に感じました。大きな怪我には至りませんでしたが、ボールを投げるとヒジに負担がかかるので、担当医から球数制限をするよう言われました。ひどい時はボールを持って動作するだけでも痛みが走ることもあり、練習とリハビリを並行する日々が続きました。公式戦でも球数制限の範囲内での登板でしたが、短いイニングで自分を見せることを大事にし、一回一回の登板を大事に臨みました。その後、3年生の春のリーグ戦の途中から痛みがなくなり、長いイニングも投げられるようになり治療のみで完治しました。
大学入学前までは大きな病気や怪我はなかったので、向き合い方なども手探りでしたが、まずは「現状を受け入れる姿勢」が大事だと感じています。言葉では簡単に聞こえますが、実際に直面した時に、冷静に自分の現状を見つめ、完治に向けて何ができるのか行動することは本当に難しいことだと思います。また、一人で抱え込まず正直に周囲の方に伝えることも大事なことだと学びました。
大学入学前までは大きな病気や怪我はなかったので、向き合い方なども手探りでしたが、まずは「現状を受け入れる姿勢」が大事だと感じています。言葉では簡単に聞こえますが、実際に直面した時に、冷静に自分の現状を見つめ、完治に向けて何ができるのか行動することは本当に難しいことだと思います。また、一人で抱え込まず正直に周囲の方に伝えることも大事なことだと学びました。
完全復活から全国大会の舞台へ。マウンドに立ったときの気持ちを教えてください。
怪我が完治してからは、本来の自分の力を発揮することができ、優勝した4年春のリーグ戦でも納得のいく投球ができました。コンディションの良い状態で迎えた、6月の全国大会の東北福祉大戦では、自分の大学生活の中で一番に近い投球ができたと思います。監督から、「継投でいく」と言われていたので初回から思いっきり飛ばしていこうと強い気持ちでマウンドに立ちました。立ち上がりに2つの死球を与えましたが、インコースを突こうと思って攻めた投球でしたので、切り替えて次の打者との勝負に臨めました。
力不足で悔しい結果になりましたが、チームメイトの好守に何度も支えられ、あらためて野球は一人でやるものではなくチームスポーツであることを実感しました。この試合を通して、インコースを突く投球や変化球を織り交ぜて打たせて取るピッチングなど、自分が磨いてきた武器に自信を持つことができました。
また、大会終了後には、侍ジャパン大学代表選考合宿に呼んでいただき、貴重な3日間を過ごすことができました。合宿では2イニングの登板でしたが、高いレベルの打者に対して自分の持ち味の投球を見せることができました。この経験を糧にし、より高いレベルを意識してこれからの練習に励んでいこうと思います。
また、大会終了後には、侍ジャパン大学代表選考合宿に呼んでいただき、貴重な3日間を過ごすことができました。合宿では2イニングの登板でしたが、高いレベルの打者に対して自分の持ち味の投球を見せることができました。この経験を糧にし、より高いレベルを意識してこれからの練習に励んでいこうと思います。
最後に望月投手のこれからの目標をお願いします。
チームとしては主将の高正則選手(4年)を中心に団結し、秋のリーグ戦、関東大会を勝ち抜き、全国大会の舞台で日本一を勝ち取りたいと決意しています。創価大学硬式野球部は、一人一人がチームのために何ができるかを考え、同じ方向に向かって心一つに戦える素晴らしいチームです。このチームで新たな歴史を築き、支えてくださる皆様に勝利を届けたいと思います。
個人としてはプロ野球選手になることが今の目標なので、ランニングやウエイトトレーニングなどの基礎練習を繰り返して体力強化に取り組むとともに、他の投手に負けないボールのキレやコントロールなどを更に磨いていきたいと思います。そして、自分の成長がチームの勝利に繋がるとの思いで、一日一日の練習に取り組んでいきます。
個人としてはプロ野球選手になることが今の目標なので、ランニングやウエイトトレーニングなどの基礎練習を繰り返して体力強化に取り組むとともに、他の投手に負けないボールのキレやコントロールなどを更に磨いていきたいと思います。そして、自分の成長がチームの勝利に繋がるとの思いで、一日一日の練習に取り組んでいきます。
PROFILE:
もちづき だいき Daiki Mochiduki
出身地:千葉県船橋市
身長・体重:187cm、83kg
投打:右投右打
ポジション:投手
経歴:船橋市八木が谷中学校→市立船橋高校→創価大学
2019年春季リーグ成績:6試合35回1/3、2勝1敗、防御率0.76、奪三振率8.15
持ち球:ストレート(最速146キロ)、カーブ、スライダー、ツーシーム、フォーク
好きな投手:千賀滉大投手(福岡ソフトバンクホークス)
ページ公開日:2019年07月24日