侍ジャパンが3回目の優勝を飾って幕を閉じた2023年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。MVPに輝いた大谷翔平選手をはじめ、選手たちの活躍が日本中に熱気と感動をもたらしました。そのチームを支えるスタッフとして世界一に貢献したのが、栗山英樹監督付きマネジャーを務めた創大OBの岸七百樹さんです。北海道日本ハムファイターズ時代から10年以上にわたり栗山監督を支えてきた岸さんに、WBCでの栗山監督や選手との秘話や、父であり創大硬式野球部を長年率いた岸雅司元監督から学んだことなどを聞きました。
WBCでの優勝、おめでとうございます! 岸さんが侍ジャパンに加わった経緯やチームでの役割を教えてください。
栗山英樹監督が日本代表監督への就任要請を受けた2021年11月に、監督から直接「一緒に戦ってくれ」と声を掛けていただきました。
僕は2004年に北海道日本ハムファイターズのスタッフになり、栗山監督がファイターズで指揮を執った2011年秋から21年秋までの10年間は、球団の監督付マネジャーやチーフマネジャーとして監督を支える立場でした。そのご縁もあって、この1年半、ファイターズに籍を置きながら、侍ジャパンの監督付マネジャーとして監督のサポートや監督と選手・スタッフの橋渡し役を務めてきました。去年8月にメジャー所属の日本人選手を視察するため栗山監督が渡米した時も同行し、監督の意向を聞きながら選手の出場交渉にも加わりました。
実は僕、中3の時に中学の日本代表でプレーして以来、日の丸を背負ってオリンピックに出ることが夢だったんです。選手としてはその夢を叶えられなかったのですが、球団職員になった後も「日の丸を付けて戦いたい」という思いはずっと持ち続けていました。今回、球団所属のマネジャーとしては初めて侍ジャパンに参加でき、何事も諦めずに努力し続けることが大事なんだとあらためて実感しましたね。
僕は2004年に北海道日本ハムファイターズのスタッフになり、栗山監督がファイターズで指揮を執った2011年秋から21年秋までの10年間は、球団の監督付マネジャーやチーフマネジャーとして監督を支える立場でした。そのご縁もあって、この1年半、ファイターズに籍を置きながら、侍ジャパンの監督付マネジャーとして監督のサポートや監督と選手・スタッフの橋渡し役を務めてきました。去年8月にメジャー所属の日本人選手を視察するため栗山監督が渡米した時も同行し、監督の意向を聞きながら選手の出場交渉にも加わりました。
実は僕、中3の時に中学の日本代表でプレーして以来、日の丸を背負ってオリンピックに出ることが夢だったんです。選手としてはその夢を叶えられなかったのですが、球団職員になった後も「日の丸を付けて戦いたい」という思いはずっと持ち続けていました。今回、球団所属のマネジャーとしては初めて侍ジャパンに参加でき、何事も諦めずに努力し続けることが大事なんだとあらためて実感しましたね。
優勝が決まった瞬間のことを教えてください。どこでどんなことを感じていらっしゃいましたか?
トラウト選手が三振した瞬間は、ベンチの端の方にいたんです。僕の中では、優勝が決まったのはゲームセットの瞬間よりもっと前の、トラウト選手が打席に立った瞬間です。あの時「あ、やっぱりこうなるんだな。これで優勝決まったな」って。世界一を決める試合の9回二死で“大谷対トラウト”なんて、出来過ぎですよね。野球の神様ってこういうことするんだな、と思いながら見ていました。ゲームセットの後はグラウンドに出て、選手やコーチと一緒に胴上げにも加わりました。
岸さんから見て、今回の代表チームが世界一になった要因は何でしょうか?
WBCで栗山監督はとにかく「勝つこと」を目指していました。「負けたら美談は残るかもしれないけど、歴史には残らない。歴史を残すために何が何でも勝つことが大事」と。本当にその通りになったのですが、その最大の要因は、ダルビッシュ選手が参加したことにあると思います。
監督が今回の代表チームで一番こだわっていたのが、ダルビッシュ選手の参加でした。彼がアメリカに渡って11年が経ち、今の日本のトップ選手の多くは、小さい子がプロ野球選手を見るような距離感でダルビッシュ選手を見ています。大谷選手でさえ、そうでした。栗山監督は、世界のトッププレーヤーと日本の選手が一緒に世界一目指し戦うことが「今後の日本の野球界のために必ずなる」とおっしゃっていて、今回のWBCがダルビッシュ選手と日本の選手が交わる最後の機会になるかもしれないという思いがあったんだと思います。
監督が今回の代表チームで一番こだわっていたのが、ダルビッシュ選手の参加でした。彼がアメリカに渡って11年が経ち、今の日本のトップ選手の多くは、小さい子がプロ野球選手を見るような距離感でダルビッシュ選手を見ています。大谷選手でさえ、そうでした。栗山監督は、世界のトッププレーヤーと日本の選手が一緒に世界一目指し戦うことが「今後の日本の野球界のために必ずなる」とおっしゃっていて、今回のWBCがダルビッシュ選手と日本の選手が交わる最後の機会になるかもしれないという思いがあったんだと思います。
そして、その狙い通りに、彼の力がチームをまとめました。36歳のメジャーリーガーであるダルビッシュ選手が、どんな若い選手にも自分から「よろしくお願いします!」とあいさつに行き、報道やSNSでも発信されていたように、いろいろな選手を食事に誘い、どんどんコミュニケーションを取った。日本野球とメジャーそれぞれのすごいところを伝えながら、選手同士の隙間を埋め、チームとしてまとめ上げたんです。
ダルビッシュ選手とは、彼が18歳でファイターズに入団した時から一緒にやってきたので、どうすればチームのためになるのかを毎日話していました。今大会、ダルビッシュ選手は最後まで調子が上がりきらなかったのですが、それは、ルーティンの多い彼が、その大事なルーティンを削ってでもチームのために時間を使ってくれたからだと僕は思っています。今回の勝因は、間違いなく選手を一致団結させたダルビッシュ選手のコミュニケーション力にあります。
ダルビッシュ選手とは、彼が18歳でファイターズに入団した時から一緒にやってきたので、どうすればチームのためになるのかを毎日話していました。今大会、ダルビッシュ選手は最後まで調子が上がりきらなかったのですが、それは、ルーティンの多い彼が、その大事なルーティンを削ってでもチームのために時間を使ってくれたからだと僕は思っています。今回の勝因は、間違いなく選手を一致団結させたダルビッシュ選手のコミュニケーション力にあります。
栗山監督と選手の間をつなぐマネジャーとして、岸さんが心掛けていたことはどんなことでしょうか?
勝負を左右するのは「長の一念」だと僕は思っています。リーダーの一念を実現させることが、勝利につながる。そのために、監督の思いをどう選手やスタッフに浸透させるかが自分にとっての大きなテーマでした。そして、とにかく栗山監督が正しい判断ができるよう、間違いのない情報を集め、監督に届けることが自分の仕事だと考えていました。不調の村上選手が今どんなことを思っているのか。源田選手の骨折の状態はどうか。監督に言いにくい本音の部分を選手から聞き出し、その情報を監督に正しく伝えられるよう、選手とのコミュニケーションをどう取るかを常に意識していました。
WBCの代表チームが集まるのは、キャンプから大会終了までのわずか1カ月間。それまで僕と接点がなかった選手もいる状況で、普通なら本音を話してもらえる関係を築くのは難しいのですが、今回は代表チームがコンパクトだったことが幸いしました。裏方のスタッフが少ないので、マネジャーの僕もノックの時にファーストでボールを受けたり、ティーバッティングでトスを上げたり、キャッチボールの相手になったりすることがどうしても多くなります。そういう時に話を聞くと、選手もいろいろなことを打ち明けてくれるんです。やっぱり、野球を一緒にしながらというのが良かったんでしょうね。
WBCの代表チームが集まるのは、キャンプから大会終了までのわずか1カ月間。それまで僕と接点がなかった選手もいる状況で、普通なら本音を話してもらえる関係を築くのは難しいのですが、今回は代表チームがコンパクトだったことが幸いしました。裏方のスタッフが少ないので、マネジャーの僕もノックの時にファーストでボールを受けたり、ティーバッティングでトスを上げたり、キャッチボールの相手になったりすることがどうしても多くなります。そういう時に話を聞くと、選手もいろいろなことを打ち明けてくれるんです。やっぱり、野球を一緒にしながらというのが良かったんでしょうね。
岸さんが選手とコミュニケーションを取るコツはありますか?
ファイターズではチームディレクターというポジションにいますが、これは選手と面談等をしながら選手の進むべき道を一緒に考えて行くような役割です。それもあって、選手とのコミュニケーションの取り方はいつも考えています。ずっと心掛けているのは、自分からあいさつをすること。18歳の新人でも会ったら「おはよう!調子どう?」と自分から先に声を掛ける。これはファイターズで長年やってきたことですし、侍ジャパンでも同じようにやっていました。20年間積み重ねてきた経験や知恵を今回の代表で生かせたんじゃないかと思います。
栗山監督とのお話も聞かせてください。栗山監督はどんな方ですか?
僕はもう12年ぐらい監督と一緒にいるのですが、監督は本当にずっと本を読んで勉強しています。本のジャンルは中国古典、ビジネス書、小説などさまざまで、新幹線や飛行機の移動中もずっと読んでいます。そこには監督の哲学があって、選手が寝る間を惜しんで練習するのと同じように、自分は常に勉強することが仕事だ、と。本を読んで、選手が良い方向に進むヒントを探すことが仕事。そういう意識でいらっしゃる方です。
また、メディアを通して「選手や周囲にとても気配りをされる方だな」という印象を持った方も多いと思うのですが、そのイメージのままの方ですね。大会後、監督が岸田総理をはじめさまざまな方と会う様子をそばで見ていて、相手が誰でも同じように心配りをし、同じように接することができる方だなとあらためて感じました。なかなかできることじゃないですよね。僕もマネジャーの仕事を20年やってきて、自分で言うのもなんですが、かなり気配りはする方だと思います。でも監督には到底及ばないです。監督の姿を通して、人に対する気遣いや心配り、誠意を尽くすことがいかに大切かを教えていただきました。
また、メディアを通して「選手や周囲にとても気配りをされる方だな」という印象を持った方も多いと思うのですが、そのイメージのままの方ですね。大会後、監督が岸田総理をはじめさまざまな方と会う様子をそばで見ていて、相手が誰でも同じように心配りをし、同じように接することができる方だなとあらためて感じました。なかなかできることじゃないですよね。僕もマネジャーの仕事を20年やってきて、自分で言うのもなんですが、かなり気配りはする方だと思います。でも監督には到底及ばないです。監督の姿を通して、人に対する気遣いや心配り、誠意を尽くすことがいかに大切かを教えていただきました。
創大での4年間や、父である岸雅司元野球部監督の存在は、岸さんにどんな影響を与えていますか?
父が1984年に創大硬式野球部の監督になって、僕が小1の時に光球寮ができてからはそこに住んでいましたらから、もう創大が「家」なんですよね。だから影響するどころか、創大に育ててもらったようなものだし、人生の礎が創大です。その大学を作られた創立者に、社会で活躍して喜んでほしい、その一心で今があります。
野球の技術は心で生かすということも、創立者に教えていただきました。「心で勝て、次に技で勝て、故に練習は実戦、実戦は練習」という創立者からの言葉は、野球で試合に勝つためだけでなく、社会に出て仕事をする上でもまずは心、誠意を尽くさなければならないという現在の僕の人生哲学になっています。
野球の技術は心で生かすということも、創立者に教えていただきました。「心で勝て、次に技で勝て、故に練習は実戦、実戦は練習」という創立者からの言葉は、野球で試合に勝つためだけでなく、社会に出て仕事をする上でもまずは心、誠意を尽くさなければならないという現在の僕の人生哲学になっています。
父は、創大野球部の監督になるために生まれてきた人なんだろうなと思います。寝ても覚めても、朝から晩まで、ずっと「どうやったら野球部が日本一になれるか」を考えている。ある意味、栗山監督もそういう方でした。そうでなければ何かを成し遂げるリーダーになれないんだろうなと思います。監督としても厳しい人で、大学4年間は親子ではなく完全に「監督と選手」でした。卒業して1年ぐらいはそれが抜けなくて、会話も敬語交じりになったりしましたけど、今は普通の親子で仲もいいですよ(笑)。
後輩のみなさんにメッセージをお願いします。
WBCでは出場国の代表が集まる会議に参加する機会も多く、グローバルな場で貴重な経験をすることができました。創大は昔から留学生が多く、キャンパス内に世界と交流する場もたくさんあります。その環境を生かして、在学中に世界で活躍できる力を養ってほしいと思います。卒業生である僕たちはもちろん、今の在学生やこれから創大に入るみなさんの活躍が、学校の価値をつくっていきます。ぜひ一緒に頑張って、創立者の作られた学校をもっと魅力あるものにしていきましょう。
(画像提供:岸七百樹さん)
(画像提供:岸七百樹さん)
PROFILE
岸 七百樹 Kishi Naoki
[好きな言葉]
魔は天界に住む
[性格]人間が好き
[趣味]
筋トレ
[最近読んだ本]
やり抜く力 GRIT/アンジェラ・ダックワース
才能の科学/マシュー・サイド
アストロボール/ベン・ライター
ページ公開日:2023年04月10日