質問の受け答えが理路整然として分かりやすく説得力があった。教師自身、身の回りの素材を生かした数学教育の引き出しを持てば「子どもたちの興味を引き出すのに役立つ」と力を込める。JICA(国際協力機構)のプロジェクトの一員として、長年、カンボジアの理数科教育への国際支援活動にも携わってきた。その経験が江戸時代の和算へ目を向ける契機にもなったという。「より一層、子どもたちが幸せになる算数教育」の在り方も興味深い。
発明王エジソンは小学校時代、「1+1=2」の計算式に疑問を抱き納得しなかったという逸話があります。
教師はカリキュラムと教える内容があって順に教えていきますが、好奇心のある子どもほど教師の気が付かないところに疑問を持ったりします。エジソン少年は非常に好奇心が強く、与えられたことを鵜呑みにしない性格の子どもであったと考えられます。簡単なことでもゆるがせにせず何でも、きちんと理解をする。自分でこれは正しいと認識しなければ納得しないという性格の持ち主で、後年の成功の基がそこに見えているように考えられます。
ともすると先生の言うことを覚えようとする子どもが多い中で、頓着のない天才肌の子どもは、教師がどう思うかよりも真実、真理の方に目がいって、自分が理解しない限りは納得しない場合が多い。エジソンはそういう少年であったと解釈できます。
数学的には「1」という量について、例えば、粘土が1キロあり、もうひとつ1キロの粘土があるとすると、くっついていようがバラバラであろうが、合わせて2キロになることには違いがない。1を個数と見れば、粘土をくっつけたときには「1+1=1」と解釈されるかもしれませんが、本来個数とはバラバラなものに用いる概念ですから、これは足し算の誤用です。
ともすると先生の言うことを覚えようとする子どもが多い中で、頓着のない天才肌の子どもは、教師がどう思うかよりも真実、真理の方に目がいって、自分が理解しない限りは納得しない場合が多い。エジソンはそういう少年であったと解釈できます。
数学的には「1」という量について、例えば、粘土が1キロあり、もうひとつ1キロの粘土があるとすると、くっついていようがバラバラであろうが、合わせて2キロになることには違いがない。1を個数と見れば、粘土をくっつけたときには「1+1=1」と解釈されるかもしれませんが、本来個数とはバラバラなものに用いる概念ですから、これは足し算の誤用です。
教育方針として、身の回りの素材を生かした数学教育を追求されていますね。
日本の算数、数学の教育者には学者肌の人が多く、理論的、抽象的なところに喜びを見出す人が結構多いです。そのため多様な学習者への配慮にまで手が回らないようなところがありますね。アメリカなどの教科書だと、小学校の教科書は非常に厚ぼったくて、いろんな例が日常生活から取られています。今学んでいることが、世の中ではこういうふうに使われているというようなことが注意深く書かれています。日本の場合、内容はきちんとしていますがそれが生活上どこに現れてきて、どういう面白いことがあるのかについては、先生たちも割と無頓着で、教科書も割とその辺が疎かですね。
私がやっているのは、日常的なところにも不思議な数学の話題はたくさんあって、例えば、今見えているこれには、どういう数学的な理屈が潜んでいるのか注意深く見てみようという呼びかけです。知識として豊富に蓄えていれば、子どもたちがそこに触れた時に「こういう算数、数学があるよ」ということを指摘してあげることができます。
私がやっているのは、日常的なところにも不思議な数学の話題はたくさんあって、例えば、今見えているこれには、どういう数学的な理屈が潜んでいるのか注意深く見てみようという呼びかけです。知識として豊富に蓄えていれば、子どもたちがそこに触れた時に「こういう算数、数学があるよ」ということを指摘してあげることができます。
“身の回りの数学”が子どもの興味を引き出すカギになると?
よくある話ですが、木に枝が生えている。木が生えている方向とか枝が幾つ出ているとかいうこと一つを取ってみても、太陽の光を最大限に受けるように、自然界は工夫されています。枝がいつも同じ方向に出ていたら、上から見ると重なってしまい、十分に日光を浴びることができません。そこで一番下の枝から見て、次に同じ方向に枝が出るまで5本で3回転とか、8本で5回転とか、なるべく上下が重ならないように、数学でいうとフィボナッチ数列というものになっている例が多いのです。ちょっとした観察力、知識があると、子どもたちに伝えてあげることができます。算数は理論的に体系的にでき上がっていますが、その実例はちょっと目を向けると豊富にあることを教師が知って引き出しを多く持てば、子どもたちの興味を引き出すのに役立ちますね。
算数嫌いを克服する算数教育の在り方は?
日本の算数、数学教育の内容というのは非常に素晴らしいです。教科書も非常によく整っていて、効率よく勉強できるようになっています。ただ、得意な子向けといいますか、好きな子はよくできるようになりますが、分からない子どもに対しては先生が手を変え品を変えて何とか考えさせようとして盛り立てようとします。
理論的な体系を見て、それを筋道立てて考えて理解できるような力を目指している面がどうしても強い傾向があります。ついていける子にとっては思考力もついて良い教育になるでしょうが、そこまでいかない子どもたちのモチベーションをどう高めていくかについては、教員任せになっている面があります。
例えば、低学年のうちから、もっと自分でいろんな問題を考え出すとか、日常的なところから算数の題材をもっと探し出そうとか、子どもたちにそういう目を養ってあげるような教育ができれば算数嫌いを克服してくれるのではないでしょうか。
背が高い子どもと低い子どもがいて、それは個人差です。算数が得意である、好きであるというのと、若干苦手だというのも個人差の一種であるというふうに考えれば、今よりも子どもたちが幸せになるのではないかと感じています。算数ができるかどうかがその後の人生を決定するというような考えは行き過ぎだと思います。
理論的な体系を見て、それを筋道立てて考えて理解できるような力を目指している面がどうしても強い傾向があります。ついていける子にとっては思考力もついて良い教育になるでしょうが、そこまでいかない子どもたちのモチベーションをどう高めていくかについては、教員任せになっている面があります。
例えば、低学年のうちから、もっと自分でいろんな問題を考え出すとか、日常的なところから算数の題材をもっと探し出そうとか、子どもたちにそういう目を養ってあげるような教育ができれば算数嫌いを克服してくれるのではないでしょうか。
背が高い子どもと低い子どもがいて、それは個人差です。算数が得意である、好きであるというのと、若干苦手だというのも個人差の一種であるというふうに考えれば、今よりも子どもたちが幸せになるのではないかと感じています。算数ができるかどうかがその後の人生を決定するというような考えは行き過ぎだと思います。
JICA(国際協力機構)のプロジェクトの一員として、カンボジアにおける理数科教育への国際支援活動を行って来ましたね?
カンボジアは1970年代のポル・ポトによる共産主義独裁政権下で、100万人から200万人が虐殺されたと言われています。特に知識階級が標的にされ、教師や聖職者、芸術家を狙って、皆処刑しました。
内戦が終わって民主化した後、それまでストップしていた学校教育が再開しましたが、虐殺の影響で教員が足りませんでした。そのため道端で「あなた読み書きできますか」と聞いて、「できます」と答えると、「じゃあ明日から教えてください」というようにして小学校の教員を補充せざるを得ず、こうした先生たちはストリートティーチャーと呼ばれました。
ところが中学校や高校の理数科となると、なかなか「あなた微分積分できますか」「できますよ」とはなりませんので、教員のレベルが非常に低下したのです。古い、フランス語で書かれたような教科書を持ってきて、それを見よう見まねで教室で教える。理解しないまま教え、理解しないまま習った人が、また教師になって、ただ公式を覚えただけでまた教えるという悪循環になっていました。そんな状況の中、JICAのプロジェクトでカンボジアの理数科を盛り上げていこう、レベルを上げていこうということで、1999年から15年以上にわたりプロジェクトに取り組みました。
内戦が終わって民主化した後、それまでストップしていた学校教育が再開しましたが、虐殺の影響で教員が足りませんでした。そのため道端で「あなた読み書きできますか」と聞いて、「できます」と答えると、「じゃあ明日から教えてください」というようにして小学校の教員を補充せざるを得ず、こうした先生たちはストリートティーチャーと呼ばれました。
ところが中学校や高校の理数科となると、なかなか「あなた微分積分できますか」「できますよ」とはなりませんので、教員のレベルが非常に低下したのです。古い、フランス語で書かれたような教科書を持ってきて、それを見よう見まねで教室で教える。理解しないまま教え、理解しないまま習った人が、また教師になって、ただ公式を覚えただけでまた教えるという悪循環になっていました。そんな状況の中、JICAのプロジェクトでカンボジアの理数科を盛り上げていこう、レベルを上げていこうということで、1999年から15年以上にわたりプロジェクトに取り組みました。
プロジェクトに携わって特に感じたことは?
高校の教員養成校のレベルを上げようとか、間違いの多い教科書を新しくしようとか、最終的には中学校の教科書に伴って配布される教師用の指導書を良いものにしようとか、いろんなことをやりましたが、その中で感じたことは、「理解すること」と「知ること」の違いが、区別できなくなることの恐ろしさです。本当にものが分かっている指導者がいなければ、その2つの区別がつかなくなり、知っていればそれで十分だとなってしまう。
数学の公式一つとってみても、「こういう式がある。こういう問題にはこういう式を当てはめて、答えを出せと書いてある。だから、それを使ってやりましょう」というような感じで、「なぜ、この問題にこの公式を使うのか」とか、「この公式はどういうわけで得られたのか」というような、「なぜ」「どうして」の部分が抜け落ちてしまいます。そういうことが分からないまま教えざるを得ない形式的な教育、理解の伴わない教育が繰り返された…ということが現地に行って初めて分かりました。
数学の公式一つとってみても、「こういう式がある。こういう問題にはこういう式を当てはめて、答えを出せと書いてある。だから、それを使ってやりましょう」というような感じで、「なぜ、この問題にこの公式を使うのか」とか、「この公式はどういうわけで得られたのか」というような、「なぜ」「どうして」の部分が抜け落ちてしまいます。そういうことが分からないまま教えざるを得ない形式的な教育、理解の伴わない教育が繰り返された…ということが現地に行って初めて分かりました。
日本でもそういう傾向は見られますか?
カンボジアの教育を見ていて、これは“日本でもそういう傾向はある”と思ったんです。子どもたちが、とにかく、解き方を覚えて、問題を解いて正解を出し、よい点数を取ればそれでよいというような、点数だけを求める形式的な教育をしている恐れがあるなと感じました。カンボジアのようにまではならないにしても“日本の算数、数学教育もそういう傾向になりつつあるかもしれない”と危惧を覚えました。そういうこともあって江戸時代の和算や身の回りの数学というものに興味を持つようになりました。
和算は、江戸時代の、日本独自の数学と言われています。
日本は中国を経由して数学を輸入したのですが、関孝和のような和算家の登場もあって、当時の西洋数学にも負けないほどの発展を見せました。和算の特徴は、徹底して問題の積み重ねで展開されることです。そのため逆に一般的な理論が発達しなかったという欠点はあるのですが、西洋数学が定義、定理、証明という論理によって組み立てられたのに対して、和算は問題と解答の連続で組み立てられていました。面白い問題は人々を引き付け、学習意欲を高めます。
たとえば連立方程式は現在中学校2年生で習いますが、あまり方程式の解き方ばかり前面に出してしまうと、学習者のモチベーションが高まらず、学習が機械的になってしまいます。そうすると問題の意味を考えることなく、ただ数値を操作して答えを出すという態度になってしまいがちで、こういう時に役に立つのかという驚きや、問題が解決できたという喜びが失われてしまいます。
その点和算では、鶴亀算のようなクイズから入って、「全部鶴だったとしよう」というような工夫を通して解決していきます。このように多くの現実的な問題を通していろいろと頭を使ってから効率的な計算を学べば、その良さもより深く実感できるでしょう。
世の中が発達してきて、いろいろな操作ができるデバイス(機器、装置)が多くなりましたが、そんな時代だからこそ、それらを使いこなす思考力が逆に問われていると思います。
たとえば連立方程式は現在中学校2年生で習いますが、あまり方程式の解き方ばかり前面に出してしまうと、学習者のモチベーションが高まらず、学習が機械的になってしまいます。そうすると問題の意味を考えることなく、ただ数値を操作して答えを出すという態度になってしまいがちで、こういう時に役に立つのかという驚きや、問題が解決できたという喜びが失われてしまいます。
その点和算では、鶴亀算のようなクイズから入って、「全部鶴だったとしよう」というような工夫を通して解決していきます。このように多くの現実的な問題を通していろいろと頭を使ってから効率的な計算を学べば、その良さもより深く実感できるでしょう。
世の中が発達してきて、いろいろな操作ができるデバイス(機器、装置)が多くなりましたが、そんな時代だからこそ、それらを使いこなす思考力が逆に問われていると思います。
吉田光由の『塵劫記』は、庶民の子が寺子屋で教科書としても使った算術の指南書として知られます。
『塵劫記』は大変なベストセラーで、江戸時代の初期のころに書かれたのですが、それから版を重ね、皆がそれを教科書にしたんです。『塵劫記』に出てくる最も有名なものは「ねずみ算」です。年の初めにねずみが2匹(1つがい)いて、それが次の月には12匹、6組のつがいを産みます。その次の月にはそれぞれのつがいがまた12匹、6組のつがいを産み、これを繰り返すと年末には何匹になっているかという問題です。
もう一つは、数の単位。億、兆、その上が京で垓(がい)でという、『塵劫記』には一番上まで書かれています。『塵劫記』の内容は大変実用的で、商人が商売で使う、金と銀の両替や米の売買といった問題が細かく述べられています。これを寺子屋などで学習することにより、商売等で活用したのでしょう。それが普及した結果、日本人は恐らく計算というものに、あまりアレルギーを持たなくなったんだと思います。
もう一つは、数の単位。億、兆、その上が京で垓(がい)でという、『塵劫記』には一番上まで書かれています。『塵劫記』の内容は大変実用的で、商人が商売で使う、金と銀の両替や米の売買といった問題が細かく述べられています。これを寺子屋などで学習することにより、商売等で活用したのでしょう。それが普及した結果、日本人は恐らく計算というものに、あまりアレルギーを持たなくなったんだと思います。
計算に重きを置く価値観は江戸時代からあったのでしょうか?
和算には、計算だけではなくて、主に幾何学的な問題が多いです。円や正方形といった図形を扱う問題が大変多く残っています。それが日本中に道場が広がって、農村と呼ばれる所にまで道場があって、皆で三角形の問題なんかを解いていたと言われています。『塵劫記』を一つの皮切りとして計算、あるいはもっと数学的な図形問題とか、そういうものにあまりアレルギーのない、多くの人が数学的思考に触れているという状態が、多分、江戸時代にできたと思います。
その結果、明治維新になって西洋の数学を取り入れて、和算とは体系は違いますが、すぐに生かすことができました。日本は電卓やIC(集積回路)といった技術でも世界をリードしましたが、それも少しでも早く計算を行いたいという欲求や必要性から生まれたものでしょう。計算というものに重きを置くような価値観は日本人の中に恐らく江戸時代からあって、その元は『塵劫記』あたりにあったのかもしれませんね。
つまり、誰かがやればいいんだというのではなく、皆ができるようにならなければいけないというふうに思って、それであの本で皆、勉強したんだと思うんです。この「皆ができなければならない」というのは、非常に広範な教育へとつながる発想です。知性のある市民が日本中にいるというのは確かに事実で、日本の文化としての高さであり、教育力の結果だと思います。
今後AIが発達して仕事が奪われるといった議論が起こっていますが、そんな時代だからこそ、自分の頭できちんと考える人間をどれだけ育成できるかが、国を支えるうえで最も重要になってきます。算数・数学は、その推進力としてこれからますます力を発揮すべきだと考えています。
その結果、明治維新になって西洋の数学を取り入れて、和算とは体系は違いますが、すぐに生かすことができました。日本は電卓やIC(集積回路)といった技術でも世界をリードしましたが、それも少しでも早く計算を行いたいという欲求や必要性から生まれたものでしょう。計算というものに重きを置くような価値観は日本人の中に恐らく江戸時代からあって、その元は『塵劫記』あたりにあったのかもしれませんね。
つまり、誰かがやればいいんだというのではなく、皆ができるようにならなければいけないというふうに思って、それであの本で皆、勉強したんだと思うんです。この「皆ができなければならない」というのは、非常に広範な教育へとつながる発想です。知性のある市民が日本中にいるというのは確かに事実で、日本の文化としての高さであり、教育力の結果だと思います。
今後AIが発達して仕事が奪われるといった議論が起こっていますが、そんな時代だからこそ、自分の頭できちんと考える人間をどれだけ育成できるかが、国を支えるうえで最も重要になってきます。算数・数学は、その推進力としてこれからますます力を発揮すべきだと考えています。
PROFLE :
鈴木 将史
[好きな言葉]
永遠の真実は、目には見えないのだ。目に見えない世界が、目に見える世界を支えている。
[性格]
どんなことにも興味を持ちますが、どんなことにもこだわりを持ちません。
[趣味]
数学の問題を解いてあげること
[最近読んだ本]
マーカス・デュ・ソートイ著「素数の音楽」
[経歴]
1959年東京生まれ
1982年東京大学理学部数学科卒業
1989年愛知教育大学数学教育講座助手
1992年同助教授
2007年創価大学教育学部教授
2012年より創価大学教育学部長 現在に至る
ページ公開日:2018年08月28日