シェフィールドで見たこと感じたこと 松田 健児 教授

シェフィールドで見たこと感じたこと 松田 健児 教授

私は一昨年、短期間でしたが、英国イングランドSouth Yorkshire南部のシェフィールドに所在するシェフィールド大学法学部の客員研究員として在外研究の機会を与えられました。主にネグリジェンス法の比較法的勉強を中心にして、ヨーロッパ法とイギリス法の現状についても調査・研究を行ってきました。その際に、家族とともに生活することができさまざまな貴重な体験を得てきました。そこで、みなさんに、その中の一つですが、小学校教育について見たこと感じたことを報告させていただき滞在記としたいと思います。

教 室

私は、七歳の娘の通うイギリスの小学校の教室を見て、その日本の教室との違いに、先ず注意をひかれました。みなさんも憶えているかも知れませんが、日本の小学校では、子ども達の机が正面の大きな黒板に向かって整然と並び、その黒板の教室入口側の端やその隣の掲示板には、日直さんの名前やたくさんの目標がかいてあるのが普通です。例えば、「すすんでみんなのためにはたらこう。」「よいからだをつくろう。」「係の仕事を工夫してやろう。」などです。そして、教室の後ろには、ランドセルなどの荷物置場があったり、子ども達のかいた絵や習字の作品が飾ってあったりします。ところが、シェフィールドの小学校の教室はそれとは全くといってよいほど異なっていました。そこでは、子ども達の机は六つからなるグループに配置されて黒板に一勢に向かっているということはありません。ですから正面というのがないのです。また、黒板の周囲を見まわしても、係の名前や目標は全く見当たりませんでした。教室の中には、日本の教室では見られない赤、黄、緑色といった鮮やかな彩りのさまざまな飾り付けがあります。教室の後ろ、といっても、果たして後ろといっていいかどうか自信がありませんが、ともかく黒板の反対側には、ピアノがあり、その周囲には各国の生活を紹介したさまざまな本や写真が置いてあります。子ども達がかいた絵や作文の作品もたくさん並べられています。こうした教室の様子はイギリスでは普通にみられるものだということでした。

授業の進め方

授業開始後一ヶ月も経たないうちに分かったことですが、授業の進め方にも違いがありました。日本の授業では、30人程のクラスで、一人の先生がお話や講義を中心にするのに対して、シェフィールドの教室の授業は、6人程で構成された5~6グループからなるクラスで、補助教員を含め二人の先生が個々人に与えた課題を生徒一人ひとりがやりこなしているか否かを確認し、助言と指導を与えることを中心に進めるというものでした。ですから、個々の生徒に与えられる課題は、当然に、それぞれの生徒に与えられる課題は、当然に、それぞれの生徒の理解度と到達度に応じて異なっているわけで、いわゆる日本のような教科書は存在しないということになります。(それが、イギリスでは、学力のバラつきという問題も生ぜしめているようです。)
そして、イギリスの教室が正面を欠いているのは、こうした可能な限り個人を中心とする授業を進めていこうという仕方と密度に関連し、かつそのこととを象徴していることのように思えました。日本では、黒板や教壇を正面とする教室の中で、教員がクラス全体に対して、同じことを、同じやり方で、同時に学ばせることに傾きがちで、そのことが、同一学習内容によるクラスにおける競争といってよいものを起こりやすくさせているもののようにも思えました。

学科外活動と教育

教室や授業の進め方の違い(もちろん、授業内容の違いもけっして小さくないのですが)に加えて、さらに重要だと思われる違いがあります。日本の小学校の教室には、日直さん、掃除係、給食係等の多様な係りが存在しています。そこでは、みんなのために係の仕事を工夫して行うことが強調されています。集団で行動する機会も多くあります。クラス単位、全校単位の朝・夕会、クラブ活動、遠足、運動会などがそれです。こうしたことから、日本の小学校では、班や小集団を単位とする集団行動の機会が多く、かつ集団行動が、和やかで効率的に行なわれるように協調的な目標が多く設けられているといってよいでしょう。それに対して、シェフィールドの小学校には、このような係や目標はまったくみられませんでした。また、班やクラスを単位とする集団行動も、私の見る限りほとんどなかったといってよいと思われます。この相違には、日本の小学校が、掃除、給食、学校行事などの学科外活動にさえ、教育の機会を見出し、子ども達に協調行動等を教える「教育」の一部だと考えるのに対し、シェフィールドの小学校が、学科指導に焦点を当てるというイギリス公教育の在り方が関係しているようです。とにかく、学科指導と学科外指導とを総合して教育の一環であると見るのは、小学校における初等教育のみならず最近では大学における高等教育をも含めた日本の教育の特徴であるといってよいかもしれません。

接触の仕組み

このように、日本の小学校では、子ども達にとって、単位となる集団が、学級にせよ、班にせよ、一定期間固定され、同じ顔ぶれが緊密な接触を行う仕組みが存在しているのです。(これは、小学校においてのみならず、日本の学校制度全体を通じて一般的に見られるものです。したがって、こうした仕組みが学校における「いじめ」の要因になっているとの最近の指摘は大いに注目すべきでしょう。)また、これは子ども達に関するのみならず、教師について言えるのではないかと思います。というのは、小学校の教員室は、イギリスでは個別の机がなく、個々の教室から教師が一時的に集まって昼食を食べたりティーを飲んだりしてくつろぐ場として設置されています。ところが、日本の教員室は、大部屋にそれぞれの教師の机が隣り合わせに並べられ、教師が頻繁に接触するような仕組みになっています。会合が多く待たれ、全教師が一致協力して取り組む機会も多くなっているのが普通です。

個と集団

ところで、しばしば、西洋人や西洋社会は、個人主義(的)であり、日本人や日本社会は集団会議(的)であると言われます。そして、私達は、このよく分かる、あるいはよく分かった感じのする簡明な表現で、西洋人やその社会がもともと個人主義(的)であり、日本人やその社会が本来的に集団主義(的)であるということを意味することが多いようです。

しかしながら、このように、時間的・歴史的な意味にもせよ、生理的・固有の国民性の意味にもせよ、イギリス人や日本人あるいはそれらのそれぞれの社会について本来的に個人主義(的)であるとか集団主義(的)であるとかいうようなことが果たして言えるものなのだろうか、と思います。

既に見たように、イギリスと日本の小学校の教室の様子や授業の在り方などには、相当の注意をひく違いがあります。この違いは右の簡潔な表現を借りれば、イギリスの教室や授業の在り方は個人主義的である、のに対して、日本のそれらは集団への同調や協調行動を促す集団主義的なものであるといってもさしつかえないのではないかと思われます。 少なくともそうした特質をより強く帯びているということはできるでしょう。そして、一生涯の間でも、小学校教育が子ども達の人格形成に意外に大きな影響を与えていることを考え合わせると、子ども達は、小学校という制度を通じて、イギリスでは個人主義的な性向をより強く有するようになり、日本では集団主義的な傾向をより大きい程度にもつようになるといってもよいのでしょう。ですから、イギリス人・西洋人はもともと個人主義(的)であり、日本人は本来的に集団主義(的)であるというのではなくて、いわば、西洋人も日本人もそれぞれ個人主義(的)あるいは集団主義(的)になると考えた方が実際により近いということになるのではないでしょうか。 したがって、もし、社会学科を学ぶものとして、問題とすべきことがあるとするならば、それは、何故、イギリス人や日本人がそれぞれ個人主義(的)あるいは集団主義(的)であるのかではなくして、どのようにして、個人主義(的)あるいは集団主義(的)になるのかという問いでなければならないということになるでしょう。

個と集団の意識の形成

たしかに、日本と西洋との間には個と集団への意識について、集団主義(的)あるいは個人主義(的)と形容してもさしつかえのない小さくない隔たりがみられると思います。その相違は、経済的相互依存が高まる現在の国際社会にあって、経済的、政治的、文化的なさまざまな摩擦のもろもろの要因の一つともなっていると見てよいものでしょう。もし、そうだとするならば、このような意識が、どのようにしてそれぞれ形成されたのか、あるいは形成されるのかという問題は、私達が、国際的相互依存関係を円滑ならしめ、また国際的協調を確保するある一つのささやかな貢献をなしうるためにも、十分な注意を払って勉強していく必要があるものだと思います。この問題について、小学校におけるもろもろの教育の仕組みのもつ比重の大きさに新ためて気づかされたことは、今回のイギリス滞在が私にくれた思いがけない贈り物でした。
※ここで述べられていることは体系的な事実分析に基づくものではなく、観察者である著者の先入観、個人的状況等の影響を強く受けているということをお断りしておきたいと思います。
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